ルーレット式おみくじ器
子ども頃、喫茶店のテーブル、それもインベーダーゲームなどのテーブルゲーム機の上に置かれていたのをよく見かけた気がする。100円玉を入れてレバーを引くと、おみくじが出てくるやつだ。
そもそも私はおみくじは好きではない。今の妻と結婚するまでは、ほとんど凶ばかり。ひどいときは、一日に二回も凶を引いたことがある。前妻が疑うので、鎌倉八幡宮でおみくじを引いてもやはり凶だったので、二度とおみくじを引けとは言われることがなかった。
新宿の居酒屋で知人と飲んだ時に、一緒に飲んだ知人が明言を吐いていた。
「ルーレット式おみくじが置いてる店はハズレなんです。」
飲食は人の嗜好によって決まる。よって、各人好みが分かれるので、店との相性も人ぞれぞれである。知人はルーレット式おみくじが置かれている店とは相性が悪い。それ以来、私も同じことを言うようになった。もちろん、おみくじを買うことはありえない。これを見た時点でハズレを引いているのだから、大吉が出たところでおみくじの信頼性をさらに損なうだけなのだ。偶然の結果に一喜一憂する年齢でもないのだ。
居酒屋 縁喜(えんき)
午前中の会議、続くランチ会議を終えると、さらに会議である。会議ばかりでなにも動かないと思われるだろうが、動く前の情報共有や意思統一、コミュニケーションに会議は欠かせない。もちろん、無駄な会議と言うものが存在するのも理解している。設営側としては、会議が形骸化せぬよう、有意義になるように準備をするだけなのだ。
無駄な会議と有意義な会議の簡単な見分け方がある。参加することが前提なのだが、有意義な会議は時間の流れが速い。時間が足らないと感じるものだ。無駄な会議は同じことを繰り返し伝えたり、資料が無駄に多く、しかも内容がてんこ盛り過ぎて、人間の理解力を超えてしまっていたりする。会議を終えて資料を読めば分かりもするのだろうが、皆忙しいので、会議中に八割がたは理解できるようにしなければならない。
その上、今後の会議においても、何度でも同じことを伝えなければならないのだ。一回言えば伝わるなんてことは、ほぼ皆無だ。その場では伝わっても、一時間後には忘れている。これが人間の学習曲線なのだ。
そんな会議の後だから、懇親会では楽しい時間を美味い酒と食事とともに過ごしてもらいたいのだが、団体となるとなかなか満足できる店がない。今回の会場は縁喜(えんき)、割と新しい店のようだが、テーブルに座って戦慄した。私の目の前にあるのはルーレット式おみくじ器である。
終わった…これはHPでは調べられない。現地調査でなければ分からないことなのだ。
コース料理
シーザーサラダは無難であったが、外国人店員のオペレーションは日本人には雑に感じられてしまう。狭い店内で席数はギリギリ。椅子の後ろのスペースは狭く、歩くのもトイレに行くのも一苦労である。ピークを過ぎたばかりの通勤電車くらいの混雑度である。本当にこの店に人数が入り切るのか不安になったが、無理やり入った感が否めない。
料理はかなり手付かずで残っていた。懇親会ではよくあるパターンとは言え、さすがに極端すぎるだろうと思ったが、一口食べて私も理解した。これは厳しい。皆、大人なのでその場ではさすがに言わないが、後日、参加者多数からクレームが届いた。
だから東京は嫌いなんだよ。
飯が高くて不味いんだよ。
ルーレット式おみくじのジンクスに間違いはなかった。
懇親会後、飲みに行くのは少数派であった。まだ午後7時、銀座の店も開いていない。それ以前に、多くの参加者が空腹であった。私も例外ではなかった。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)