田沢湖駅 蕎麦 五郎
買い物をすませると、新幹線の切符を買ってから駅前を徘徊する。飯はどこだ。実は五郎という店で蕎麦を食べる気でいたのだが、それらしき店が見当たらない。
むしろ、駅前食堂の稲庭うどんや文字に心が揺らぐ。そう、秋田といえばこいつではないか。蕎麦はどこでも食べれるが、稲庭うどんは秋田が本場である。しかも山菜入りと書かれている。どうしよう。彼女とのデートに行く途中にどストライクの女性といい感じになってしまった、青春時代を思い出す…なんてことはない。自慢じゃないが、そもそもモテないから、両手に花で悩んだことなど、一度たりともない。
どうしよう。
駅の向かい側にある土産物店。地図によればここに店があるのだが、店名が明らかに異なる。入口に近づくと、田沢湖 地そば 五郎の字が見て取れた。店内にあるようだ。
直売コーナー
確かに店内に店はあった。その手前の直売コーナーでは、先ほどのスーパーよりも安く山菜が売られていた。
オーマイガー?!
生きていればこんなこともある。出会いとは残酷なものだ。君ともっと早く出会えていれば、まさに久保田利伸のMissingを口ずさみたくなるシチュエーションなのだ。
ぐああ。
気を取り直して、店の外にある大量の張り紙に目を通す。なんでも限定ラーメンが美味しいとネットには書かれていたが、蕎麦を食べにきたのだ。稲庭うどんを振り切ってまでラーメンを食べる気にはならない。いくら私でも、そこまで無節操ではない。食べられればなんでもいい、みたいな計画性のない人生もいいのかもしれないが、やはり男ならば一度決めたことをやり遂げなければならないのだ。
メニュー
メニューを見る。天ざるねえ。月並みだねえ。黄色い紙に大書された、オススメの地鶏せいろが無難だろうか。鳥せいろも悪くないんだけどねえ。なぜかイマイチ気が乗らない。蕎麦を食べると決めたのだから、ここでぐちぐちとしても拉致があかないだろう。ん?ピンクの紙に殴り書きされた天ざる、天つけの端に小さく書かれた文字を私は見逃さなかった。
コシアブラ、タラの芽
マジか?!これは、食べなきゃダメだ。断然、テンションが上がる。上がりまくる。タラの芽はもちろん、コシアブラだよ!決まりだよ!店内に入ると、気の良さそうなおやじさんが、荷物があるからと、広めの席に案内してくれた。
改めてメニューを見る。なるほど、天ぷらそばは冷たくて、天つけそばは温かいのか。ならば迷うことなく天ざるそば。この店は蕎麦は十割、つゆは無添加とメニューに書いてある。田沢湖地そばと名乗るだけあって、おそらく原材料も秋田産、いや、このあたりで生産されたものなのだろう。
さらにさらに、十割そばは伸びやすいので早めに食べろとせかすような文句が並べられている。ああ、札幌の花喬が思い浮かぶ。美味しいそばを食べさせたい気持ちも分かるのだが、客にも都合があるのだよ。少しでも妻に蕎麦の旨さを、このつたない写真の腕前で伝えるには、どうしても時間がかかってしまうのだ。いや、私ごときの素人カメラマンでは、伝えきれているとも思えない。そもそもせいろをお代わりしたら、そいつは速攻で食べるのだから、きちんと味わいますよと言いたいが、イケイケの若い店主に私の言葉は恐らく届かないだろう。
天婦羅ざる
数分後、思いのほか早く、天ざるそばが運ばれてきた。うむ、蕎麦は見た目に美味そうだ。私は十割そばが嫌いだ。いや、嫌いだったというべきだろう。かつて、美味い十割そばに出会えたためしがなかった。それがここ数年、ソバ業界に何があったのかは知らぬが、美味しい手打ちの十割そばを出す店が増えてきた。これは好ましい現象である。
まずは蕎麦をいただこう。いただこう…ん?麺が長くて、いくら箸を高く持ち上げても、蕎麦猪口に入れることがかなわぬ。やむを得ぬ、長いまま無理やり入れる。そして食べる。
おう!
きらきら光る平らな蕎麦、のど越しは滑らか、コシもある。香りもいい。つゆは少々辛めなので、津付け過ぎるとしょっぱい上に香りもなくなる。ネギもワサビも全部つゆに入れたのだが、思いのほか刺激が少ない。そばの香りを邪魔しない。江戸前ほどではないが、少なめにつけて食べるのがちょうどいいくらいだ。
やばい、このまま蕎麦だけ食べてしまいそうだ。天ぷらもあるのだから、蕎麦だけ食べるとペース配分が狂う。分かっている、頭ではわかっているのだが、胃が、舌が、感情が理屈を凌駕する
落ち着け。
本能のままに突っ走ると、99%は不幸な結末が待っているものだ。天ぷらも味わおう。コシアブラが早く食べてと言わんばかりに、カゴの上に並んでいるではないか。姿形も美しく、衣も薄め、かりかりに揚がった天ぷらを食べるとサクッと音がする。口の中に大葉にも似た特有の香りが広がる。
これだよ、春の訪れ、山の恵み。
久しぶりに出会えたコシアブラ。先ほどのスーパーには売っていなかったが、土産物コーナーで安く売っている。買わずにいられようか。コシアブラの山菜パスタ、妻も大好きなのだ。さすがにけいたまが食べるとは思わないが、自宅で天ぷらにして、北海道で買った新得そばと一緒にいただけば、ああ、今も蕎麦を食べているというのに何を考えているのだ、私は。
対してタラノメの天ぷらは衣が厚すぎ、小麦粉を食べてるかのようだ。ぶよぶよだ。私の好みではない。あ、間違って天つゆではなく蕎麦つゆにつけてしまった。まあ、いいか。ん?これはいける。なるほど、こいつは蕎麦屋仕様の天ぷらなのだ。衣(ころも)食い専用だったのか。肉厚でプリップリの椎茸はジューシーである。
ラストは蕎麦湯。わさびの香りと相まってうまい。最後まで残さずいただいた。
ごちそうさま
トイレは店外にあり、施設と共用だが、温水洗浄便座であった。
思いのほか腹がいっぱいだ。さて、こまちに乗りますか。コシアブラを買って建物を後にした。次回はスーパーではなく、こちらに先に立ち寄ることを忘れない。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)