味坊 口水鶏

台湾 桃園市 味坊 口水鶏と小籠湯包

台北ノボテル桃園国際空港ホテル

カンボジアへのトランジットのため、台湾に宿泊した。乗り換えのための一泊なので、ホテルは空港に一番近いホテルにした。空港から一駅の機場旅館駅だ。駅の隣がノボテルホテルである。

昼は桃園市内でランチを済ませたが、夜はホテルで食べるしかない。この付近に飲食店は皆無なのだ。GoogleMapによればファミマがあるようだが、何度探しても見つからない。

せっかくなので。たまにはホテルのレストランでオシャンティーに食事をしてみることにした。

中華料理 味坊

しかしホテル内に人がいない。レストランにも客がいない。いつもなら予約が必要な店らしいのだが、コロナウイルスのせいか。これでは開店休業である。

来店前にメニューのPDFファイルをスマホにダウンロードしておいた。これは便利だ。

まずは台湾ビールでひとり乾杯。すっきりとした味わいとのど越し、日本人の嗜好にも合うビールだ。

お通し

お通しは泡菜だ。控えめな酸味、ほのかな、しかし存在感のあるピリリとした後味が引く辛味。キムチとは異なる味わいだ。台湾ビールとの相性もいい。

店内には落ち着いた静かな中国伝統音楽の現代風アレンジの曲が流れる。いいなあ、貸し切りのような空間でひとり食を楽しむ。すごい贅沢だ。金持ちになった気分だ。

口水鶏

開胃に選んだのは四川を代表する一品、口水鶏である。直訳するとよだれ鳥だ。

「開胃」とは文字通り「胃を開く」、つまり食事を開始する料理だ。前菜とも呼べる。

さて、よだれ鳥。見た目にも高級な料理が出てきた。日本の中華料理屋で食べるのとはだいぶ違う。ネギ山しか見えない。鶏肉は炭鉱の如く、山の下に眠っているのだ。これを掘り出し、ネギを巻いて食べる。

ああ、口の中に広がる花山椒の香りと痺れ。懐かしい。若い頃は花山椒の魅力をダイレクトに楽しんだ。続いて広がる唐辛子のふくよかな辛味と鶏肉の風味。なんて立体的な味わいだ。

ん?ネギ山の下に埋まっていたのは肉だけではなかった。粉皮だ。なんてこった。こいつもまた麻辣との相性が抜群なのだ。

プルプルの粉皮にたっぷりのたれをつけて食べてみる。うんうん、この味。麻辣と炭水化物は相性がいいのだ。しかも小麦粉の麺とは異次元の食感。スイーツにも使われるような素材だ。

和食で言えば観点やゼラチン、いや、くず餅に匹敵するだろう。

さらに鳥肉と一緒に食べると言う暴挙まで犯してもいいだろうか。私も試したことがない。

口水鶏に粉皮を入れたこの店が悪いのだ。私には何の非も落ち度も無いはずだ。

今までは何の問題も起こさず、口水鶏を食べるときは肉と麻辣だけの世界が私のすべてだった。それを紫玉ねぎと白ネギで拡張したばかりか、まさかの炭水化物まで合わせるとは。

ここは異世界なのか?
異次元なのか?
現世(うつしよ)なのだろうか?

コロナウイルスの流行で次元にひびが入り、私はいずこのパラレルワールドにでも紛れ込んでしまったのだろうか。

異次元の味わいはたまらなく美味なのであった。

絲瓜小籠湯包

小籠包と小籠湯包の違いは特にないと思う。いずれもスープたっぷりの餡を皮で包んで蒸した上海料理だ。

この店は上海料理と四川料理とのことである。口水鶏が四川料理であったので、今度は上海料理のお手並み拝見だ。

三種類の小籠湯包のうち、絲瓜と雞汁をチョイスした。絲瓜とはへちまだ。沖縄でもナーベラーと呼ばれ、特に農協では大量に販売されている。ンブシーという、みそ煮にして食べるのが一般的だが、私は好きではない。

美味しくないのだ。

沖縄ではへちまを一般的に食すのに、レパートリーがほとんどない上に美味しくない。青臭いし食感もぐにゅぐにゅでいまいちだ。

だが、中華は違う。

へちまとはかくも美味いものだったかと驚嘆させられるのだ。20年前に北京で食べた、へちまとゆり根の炒め物も驚いたが、昨年、台北で食べたハマグリとへちまの炒め物は、半世紀以上生きてきた私のへちま観を360度…ではない、540度ほども変えてしまった。

今は無くなってしまったようだが、6年ほど前に何度か食べた、行徳の小さな店のパクチー小籠包が激ウマであった。

この店もわざわざ小籠包にへちまを使うのである。きっと新しい世界を味合わせてくれるに違いない。

さあ、見せてもらおうか、へちまの旨味とやらを。

小籠包を無防備に口に入れ、皮を破いてしまうと、あつあつフハフハの旨味あふれる汁が口の中にほとばしる。

美味いが熱い。
火傷するほど熱い。

上あごの皮がべろべろに剥ける惨事が発生するので要注意なのである。正しくはレンゲに載せ、箸でつついて皮を破り、レンゲをスープで満たす。火傷に注意しながらあつあつを楽しむのである。

あれ?

それほど熱くない。口水鶏に構っている間に冷めてしまったようだ。

そのまますべてを口の中に放り込む。うむ、肉汁あふれる餡の中に、おそらく四角く刻まれたへちまがいる。滑らかな舌触り、臭みなどまったくない。スープをたっぷり吸って、おそらくヒスイ色へと変貌し、まろやかな味わいに一役買っている。

うん、これは有りだ。

沖縄料理は本当にへちまの食べ方がへたくそだ。炒めるにしろ、蒸すにしろ、へちまの調理は百度を超える高温で加熱するのがポイントなのだろうか。

今度、自宅で試してみよう。

だが、ハマグリ炒めほどの感動は無い。
パクチー小籠包ほどの旨さでもない。

へちまの調理方法としては確かに優れているが、小籠包に欠かせないかと言われれば、無くてもいいように思う。この料理は有りだが、名物には難しいように感じた。

雞汁小籠湯包

さあ、こちらはオーソドックスな小籠湯包である。箸で小籠包のトップをつまみ、口の中に運ぶ。容赦なくかみ砕く。

ああ、口腔内にあふれるスープ。

へちま小籠包よりもコクが強い、油も強い。マッタリとしている。この対照的な二種類の小籠包は、交互に食べるのが正解ではなかろうか。

雞汁はコッテリ、絲瓜はあっさり。食い物は対照的な性質がループを生み出す。甘いと辛い、熱いと冷たい、あっさりとコッテリ。

相手があるから自分が引き立つ。自分がいるから相手の魅力を引き出せる。まさに相互補完、トキとラオウ、ラムとレム、桐野 悠と田原 勇なのである。

ああ、なんてこった。これだから初心者は困るんだよ。

ごちそうさま

ここで満腹だ。口水鶏は食べきれなかった。他にもいろいろ食べたいものがあったのだが、おそらく3日後の夕食もこの店となろう。

その時は水煮牛肉と蒸し餃子、白菜炒めを食べることにしよう。

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