地方都市の光る寿司店
北海道は一つの県ではあるが、日本の国土の二割を占めるほどの広大さである。根室から函館までは、房総半島の館山から紀伊半島の熊野くらい離れている。帯広を静岡市とすれば、稚内は能登半島の輪島市に相当する。国内でも日本海側と太平洋側では魚の旬も異なる。房総半島と紀伊半島でも同様だ。
北海道は食材の宝庫である。季節それぞれに甘いものが味わえる。例えば、ウニ一つとっても、産地は様々であり、禁漁期もあって旬は様々だ。
- 根室のウニは冬から四月末まで
- 積丹半島は六月から八月まで
- 小樽は五月末から八月上旬まで
- 利尻・礼文島は六月から九月まで
個人的に知っている知識を並べただけなので、これ以外にも産地はある。秋のウニはどこだか知らない。今度、食べるときに聞いてみよう。
このように全道から集まった食材が流通しているのだ。なのだ札幌でなくても美味い食材を食べることは可能だ。それに最高の食材は産地にはなかったりする。すべて札幌や築地など、経済規模の大きな都市に送られてしまうのだ。つまり、高級品はほとんどが消費地に行くのである。名寄はアスパラの産地であるが、ものすごく太いものは、地元民でも見たことがないと言う。
しかし一般的なものは素晴らしい食材がどこの街でも食べられる。そう、物価の高いススキノでなくとも、地方都市ではかなりリーズナブルに食べられるのだ。この、滝川市でも前回訪れた店が素晴らしかったので、泥酔しながら今夜も店に入ることができた。
しげ寿し
店のドアを開けて中に入る。カウンターの内側には70歳くらいの男性が立っていた。
あれ?
こんなベテランの職人だっけ?
しばし混乱気味の私を見た大将が店の奥に声をかけた。
「おい!お前の客じゃないのか?」
中から40代の男性が出てきた。選手交代のようだ。そう、この前握ってくれたのは彼である。よかった。店を間違えたのかとドキドキしてしまったではないか。
ハイボールを注文すると、お任せで握りを何貫か出して欲しいと職人に告げた。
握り寿司を堪能する
まずはいきなりキンキである。こいつはヤバイ。北の海で獲れる高級魚。産地ではゆでたキンキにウスターソースをかけるらしいが、生でも炙りでもしゃぶしゃぶをでも煮付けでも美味い。とにかく美味い。どちらかというとラスボスかその前後に位置するキャラなのだが、いきなり出てきた。北斗の拳1巻目でいきなり雲のジュウザが出てきたようなものだ。ガンダムが立ち上がる前にゲルググが出てきたようなものだ。
ヤルな。職人の発想もさることながら、いきなり重量級を出すだけの手駒がそろっているところに、北海道の凄さを体感できると言うものだ。脂がのったキンキの身が口の中でほろりほろりと崩れていく。キンキだけではない。空気を含んだシャリも一緒に解れていく。コメ一粒一粒がキンキの甘い脂をまとい、噛むたびに一体化していく。すべてが胃の中に収まっても、なお口の中に残る旨さの余韻。
なんと官能的なのだろうか。
続いてうに。またもやラスボス級である。ガンダムで言えばモビルアーマーであろう。今が旬んの産地はどこだろうか。尋ねるまでもなく、山吹色に輝く、軍艦巻の上で圧倒的な存在感を示す卵巣を手に取りむさぼる泥酔者。ああ、甘い。これが北海道のウニだ。味だけではない。ボリュームも満足なのだ。札幌でこんな盛りのウニ軍艦巻きを食べたら、いくらするのか少々怖いのである。東京ならなおさらである。
ネギトロ軍艦巻。ついにラスボスだ、ガンダムで言えばジオングで異論ないだろう。いや、もしもイクラ軍艦巻が出てきたらどうするのだ?ふむ、ビグ・ザムがあったではないか。そうか、スレッガー中尉が身を挺してアムロを導いて大破させた、ドズル中将のモビルアーマーだ。たたいたマグロ特有のとろけるような食感にマグロの濃厚な旨味、口に広がる脂の甘み、これらを引き立てるねぎの香り。無くてはならない黒子役の海苔が酢飯をサポートしながら味わいをまとめ上げる。まさに海苔は味の先導者である。指揮者である。海鮮丼もご飯の上にきざみ海苔を敷くか敷かないかで、味わいがぐんと変わる。
重量級が続いて疲れた。美味いのだが、もっとライトな味わいが欲しい。クールダウンに適したネタを握ってもらう。しめ鯖だ。私の大好物だ。青魚は浅く酢で締めた方が、旨味が濃厚になるので美味いと思う。しょうが醤油ではなく、わさび醤油が合うようになる。酢飯とワサビとの相性も抜群だ。
ラストはイカ。食感と甘みを楽しみつつ、最後の一貫を食べ終えた。美味かった。ラーメンやうどんで締めるよりも健康的な気がするのは、おそらく勘違いであろう。
本日も鮨を堪能した。滝川で飲むときは、ここで締めるのがおすすめなのだ。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)