林森北路で軽食を
ホテルでのレセプションが終わって外に出ると大雨だった。歩いて駅まで行くのも厳しいので、タクシーに乗るしかない。次々に来るタクシーに乗って、皆、台北の飲み屋街である林森北路に向かうのだが、二次会が合設定されてるわけでもなく、各自、自由行動になっていた。
たまたま、沖縄から一緒に来た宮城さんと同じタクシーに乗り合わせて、飲み屋街に向かった。しかし、腹が減った。レセプションでは食事が少なかった。前菜とスイーツばかりで、腹の足しになるものがサンドイッチくらいだ。なので、私も宮城さんも呑みに行く前に食事をしたかった。
どうしたものか。
タクシーが林森北路に着き、宮城さんと連れの一人、合計3名でうろうろしていたら、日本語で声をかけてくる女性がいた。案内所の人間だという。店を探すのが面倒くさいので、その女性に告げた。
「飲み屋もいいんだけど、腹が減ってるので、どこかで食事をしたい。」
すると女性は言った。
「いいですよ。食事、連れて行きます。そのあと、飲みに行きましょう。」
水餃 又一村
何を食べたいのか聞かれたので、やはり中華料理が食べたいと宮城さんが伝えると「こちらです。」と女性は言って、飲み屋街のを進んでいった。今朝、散歩したところだ。そして、一軒の店の前で停まった。
「ここです。」
今朝、通りがかった店だ。
店の中は普通の食堂といった感じだ。メニューを見る。宮城さんは魯肉飯をリクエスト。昨日食べたのがよほど美味かったらしく、もう一度味わいたいとのこと。もう一人は牛肉麺をオーダーする。さらにみんなで水餃子をつまむことにした。私は魯肉飯ともう一つを注文した。その名は「搾菜肉絲麺(ザーサイロースーメン)」。
魯肉飯
うーん、タクワンがポイントなのだろうか。昨日の古都の方がうまいなと思ったら、宮城さんも同じことを言う。
水餃子
もちもちした皮がいい。黒酢につけて食べる。まあまあ美味いか。後日知ったことだが、この店は水餃子が売りなのだとか。店名にも「水餃」と書いてある。
搾菜肉絲麺の思い出
二十年前に台湾で出会い、その魅力に囚われた。腹が減ったランチに、二日酔いの朝に、そして飲んだ後の締めにもよく食べた一品だ。台湾では人気の料理で、カップ麺も売っていた。
そういえば、台北で仕事をしていた時のある朝、取引先の湯沸かし室で、コンビニで買ったカップ麺の湯ぎりに失敗し、シンクにダバァっと麺をこぼしたことがある。
そう、日本で言うところのペヤングダバァだ。
それを見ていた台湾女性が、冷ややかな目で私に言った言葉を忘れることができない。
「朝から麺を食べるの?」
搾菜肉絲麺
さて、二十年ぶりに再開した搾菜肉絲麺は、なんだか記憶と違う。見た目からして全然違う。なんだ、これは?私は自宅でもちょくちょくこいつを作って食べていた。もちろん、記憶通りの味だ。それがこいつは、スープがちがう、搾菜が水煮だ、青菜ももやしも入っていない。
まあいい、食べてみよう。スープをすする。違う。麺をすする。こんなものか。搾菜を食べる。
うををををを!お前は誰だ?
納得いかないが、腹が減っていたので全部食べた。だが、あえて言おう。これは私の求めているものではない。美味い不味い以前の問題だ。いったい、搾菜肉絲麺はどうなってしまったのか。新たな謎を抱えて、私は店を後にした。
又一村(食べログ)
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)