一人鍋を食べよう
昨晩はすすきので飲み過ぎた。都合、八時間ほど飲んでいた。一日の労働時間と同じである。バカである。当然のように体調を崩した上に、沖縄と北海道の気温差に由来する風邪が加わり、身体の調子はさらに悪化。休養を余儀なくされた。昼はうどんを食べるつもりがラーメンに。夕食こそ胃に優しいものを食べようと考えていた。
昼間、ホテルの周りを歩いた時に「レタしゃぶダイニング」なる看板を見かけて気になっていた。ダイニングと名乗るくらいだからランチはやっていないだろう。寒いことだし、野菜もたくさん食べられるし、夕食はぜひとも鍋料理を食べたい。そんな心境になったのだ。
夜になった。1人店に向かう。場所はすぐにわかった。まずは外の看板を眺める。朝5時までやってるのか、氏名が出これも斬新かもしれない。沖縄のようにステーキで締めるよほど健康的で翌日の行っても問題はなさそうな印象を受ける。
続いて出汁を見てみる。種類が豊富である。和食の基本昆布だしから、流行の豆乳、そして韓国、すき焼き、薬膳火鍋と、辛いのと辛くないの、実に充実したメニューである。日中韓、いずれにも対応している。これにブイヨンベースのスープがあれば、洋食までもカバー可能だ。
レタしゃぶダイニング
階段降りて地下に降りると、白を基調とした明るい店内が見えるから縛りの入り口にぶつかる。
ドア開けて中に入る。若い女性がスタッフが明るい声で迎えてくれる。元気な職場だ。
さて何を食べようか。メニューを見る。
出汁を選ぶ。今回は極め昆布だしと決めてある。
タレを選ぶ。色々と種類がある。ポン酢とゴマだれ、生野菜用にバーニャカウダ。レタスを食べにきたのだ。日本ではあまり食べないが、中国では鍋にレタスは定番だ。ゴマだれにラー油…ん?麻辣中華だれがあるではないか、これとゴマだれを混ぜれば美味いはずだ。
野菜はすべて有機野菜、キノコと根菜以外は生でも食べられる。野菜は少しでも余ればスムージーにできるとのことだ。
お一人様なのでカウンター席はお約束だ。一人鍋を優雅に食せるなんて、こんなにうれしいことは無い。
野菜、肉、レモンサワーに鍋がそろった。Ready Perfectly!準備は完ぺきなのである。
まずは野菜からだ。鍋に投入し、適度に火が通ったところで鍋から引き上げる。すぐにとんすいの薬味に浸さずに、鍋の上で冷ますことができるのもいい。熱々だと火傷する。ゆですぎることもなくなる。しかも鍋の上なので、冷たくなることもない。素晴らしい仕組みである。
レモンサワーがみずみずしくて爽やか。分厚いレモンの輪切りが二つも入っているのが斬新だ。ホッピーのように、レモンはそのままで中の酒と炭酸だけを追加することができる。酒飲みには嬉しい心遣いだ。
BGMは古いアメリカ映画のサントラだ。店のスタッフのほとんどが若い女性。清楚な服装に好感が持てる。細やかな気配りが嬉しい。
薬味を加えてパワーアップ
うん、パクチーが欲しくなる。しかし、なぜに薬味がない。鍋なら必須だろう。メニューを見つめ直す。
え?
ネギにパクチー。あるではないか。バーに向かう。見つけた。これでタレを作り直しだ。ゴマだれ4に中華ダレ1。パクチーとネギを導入する。
生玉子は肉を浸して食べるのだ。すき焼きだけではない、ジンギスカンでもしゃぶしゃぶでも、生玉子と肉の組み合わせは健在なのである。玉子は調味料としても優秀なのである。
雑炊の罠
食事も佳境を過ぎた。腹もなかなかいっぱいである。たっぷりと肉厚のレモンを浸したサワーが実にうまい。ご飯を注文して鍋に投入する。ついに鍋のクライマックス、終幕(さいご)は大団円、拍手の合間に、なのである。
そして、ついにその時がやってきた。玉子を鍋に割り入れればフィニッシュである。
「失礼します。」
脇から女性スタッフが空になった肉の器を下げようとした…のではない。なんとこの器は二段ではないか。下からもう一セットの肉が出てきた。
肉が出てきた。
はあ????なにこれ?
大誤算だ。
一段下に肉が隠れていた。すでに鍋にご飯を投入済みである。覆水盆に返らず。鍋メシ椀に帰らず。心の中で涙を流しながら、雑炊で肉を煮る。屈辱である。馬鹿である。
こんな失敗が偶然に新しい味わいや食べ方を生んだりするのは、悠久の昔からありがちの話ではあるが、雑炊で肉を煮てわかったことは、肉の味が消え、米の良さもなくなることである。加えて食感も悪くなる。
しゃぶしゃぶと雑炊の相性が悪いことを思い知らされただけだった。
ああ、画竜点睛を欠くとはまさにこのこと。無念である。
今回は胃に優しい昆布出汁を味わったが、次回はぜひとも火鍋に挑戦してみよう。もちろん、肉は二段あることも忘れないと、心に誓った。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)