火鍋の羊肉

東京都 新宿駅 海底撈火鍋 新宿店 トマトと麻辣

海底撈火鍋 新宿店

新宿歌舞伎町。今から30年前、元号が平成になった年、私はこの街でたびたび飲んでいた。そして令和。コマ劇場はホテルグレイスリーの高層ビルに変貌し、歌舞伎町は昔よりも健全になった感がある。外国人が多く行き交い、ぼったくりの店もだいぶ減ったようだ。

そして東和会館第二ビル、青春の場所だ。昔はここにボーリング場があった。映画館もあった。広場には映画の宣伝の大きなオブジェが置かれていたこともあった。その6階に今日の目的地がある。火鍋を食べに海底撈に行くことになった。

エレベーターに乗り6階で降りる。ドアが開くと、そこにはバブルがあった。すでに日本ではない。残念ながら今、この国にバブル時のような元気は無い。

電話で予約をしようとしたが、いっぱいだった。断られた。一時間ほど並ぶのも覚悟していたが、あっさりと入店できた。店内は白を基調とした作り。とても広い。日本人のセンスではない。まさに中国、北京である。店員もほとんどが中国人、客も若者ばかり。親子連れもいるが小さい子供を連れている。年寄りはまったくいない。私と同世代の五十路客ですら見かけない。.

まさにバブルだ。この広大な吹き抜けのフロア、脇にある少人数用テーブルの長い通路、そしてトイレまでもが中国式だ。男性トイレを、おばちゃんがモップで拭いている。食器の片付けもたらいに皿をガンガンつっこむスタイル。すべてが中国色だ。

キッズルーム迄用意されているのが、若い客が多い証拠でもある。まさに日本の高度経済成長期を彷彿とさせるのが21世紀の中国である。

火鍋を食べる

注文はすべて各席に用意されたタブレットで行う。最初に鍋のスープを2種類選択する。今回はトマトスープと麻辣スープにした。続いて鍋の具材を注文する。羊肉、牛肉、豚肉、鹿肉が用意されている。火鍋なので野菜も豊富に取り揃えてある。豆腐、野菜。レタス、もやし、春菊をオーダー。そして火鍋に欠かせないのは、なんといっても鴨の血だ。日本ではめったに食べることができない。贅沢を言えばガチョウの血の方が好きである。ゼリーよりも柔らかくぷるんぷるんとした、コクのある優しい味わいなのだ。ああ、21世紀に入ってから食べたことがない。だが、鴨の血も悪くない。豚の血よりは舌触りもなめらかでやわらかプルプルだ。クセもない。火鍋も、特に麻辣スープは食材の欠点をすべて覆いかくすと言う、素晴らしい特性を有しているのだ。

容器にスープがセットされ、加熱が始まる。沸騰したら準備完了である。

店員が牛肉のそぼろと小口ネギの入ったお椀にスープを入れ食べるように勧める。まさにスタートの号砲、博多の水炊きのごとく、まずはスープのみを味わうのだ。イタリアンを食べているかのようだ。もちろん、麻辣スープではそんなことをしない。最初に味覚がマヒしてしまう。

タレと具材

席を離れて、鍋を食べるための調味料を調合する。調味料は豊富だ。自分好みにいくらでもカスタマイズ可能である。

ごまだれをベースとして様々な調味料、薬味を入れる。どうも大陸と違って、ごまだれに味がつきすぎているような気がする。花椒にラー油、刻みセロリ、刻みパクチーなどなど、それに刻み搾菜を入れる。

鍋に野菜を投入し、湯がいて食べる。辛い。辛すぎる。麻辣鍋は肉や豆腐をゆでるためのスープだ。野菜を入れると、素材の芯まで辛みと痺れが染み込み、激しい味となる。しかも熱い。何の罰ゲームだと思わずにいられない。野菜を麻辣スープに入れてはならぬ。こんな基本的なことを忘れていた自分が恥ずかしい。

麻辣スープ

一般的には優しい味わいの白湯(パイタン)スープと情熱的な味わいの麻辣スープの2種類である。野菜は白湯スープが、麻辣スープがタンパク質を担当する。しかし今回はトマトスープと麻辣スープ。いずれも紅い。トマトスープは辛くないが、見た目が赤いのでついつい野菜を反対側、つまり麻辣側に入れてしまった。人間とは視覚によって思考が邪魔される動物である。人が見た目で判断されるのと同じように、料理も見た目から味を想像する、このような脊髄反射が体に染み付いているのだろう。

辛さと痺れにまみれであろう野菜を小椀に入れる。ベージュ色のごまだれがみるみる真っ赤に変わる。まさにタレのアンデッド。何を入れても辛さと痺れしか感じない。これでは鍋のタレとして機能しない。初号椀を放棄し、再び調味料コーナーに立ち、二号椀を組み立てていく。今度は間違わない。まずはごまベースのタレ、ついで長ネギとパクチー、刻セロリ、そして搾菜は少しだけにする。これで充分だ。

まだ残っていた牛肉、羊肉を食べる。肉は麻辣スープだ。ほど良い辛み、ゴマだれのコク、パクチーと長ネギの個性的な香りが混じり合い、素材と融合しリッチな味わいに仕上がる。中華の技法は和食とは真逆だ。素材の魅力を存分に引き出し、味付けは脇役に徹するのが和食。逆に素材の欠点をあらゆる調味料を使って消し去り、素材をベースに新しい味を作り上げる。これが中華だ。

鴨の血とカンフー麺

クセのない鴨の血も当然麻辣スープの担当だ。ラー油の辛味とゴマだれの匂い、パクチーの香りがひとつになる。熱々プルブルが口の中で暴れまわる。娘のハルハルが何かを訪ねてくるが回答できない。ハフハフである。豚レバーの様な臭みがない。

店内を巡回する店員がこまめにスープなどを作ってくれる。中国にそのようなサービスは無い。これは日本の意見を取り入れた、和中折衷であろう。素晴らしい。

たまに店員が客席で踊りながら麺を打っている。カンフー麺というものらしい。踊りながら器用に麺を打つ。蘭州拉麺を思い出すなあ。

なにこれ、涼皮?ひもかわうどん?打ち終わった麺はなまら太い。間違いなく拉麺ではない。この適当さが中国なのだ。大陸品質なのだ。まあいい、さっそく麻辣スープに投入して加熱する。ゆであがった麺を食べる。うーん、あくまでもシャレだな、こいつは。

もう汗だくだくである。だが、ひたすら食べる。鴨の血をお代わりなのだ。娘が涼粉を注文する。中国北部では好んで食べられる料理だ。これもまたプルプル麻辣なのだ。

ついにデザートか、娘がヨーグルトを注文する。出てきたものを食べて、表情が曇った。明らかに落胆している。

「私が食べたかったのは、こんな美味しいのじゃない。中国の安っぽいのが飲みたかったのに…」

北京育ちの娘は懐かしい味が食べたかったのだろう。日本で言えば駄菓子屋の小さいカップに入ったやつだろうか。

腹いっぱいだ。久々に美味い火鍋を食べた。娘のハルハルも「おなかいっぱい」と満足そうだ。ああ、久しぶりに大陸で四川料理を食べたいなあ。プチ中国気分が味わえる、元気なころの日本の雰囲気を感じることができる。ぜひ、また食べに来たい。

(Visited 38 times, 1 visits today)