新庄で蕎麦を喰らう
昨日は新庄市から少し離れた尾花沢市で白くて太い蕎麦を食べに行った。今日は正統派の蕎麦が食べようと、150年の歴史を持つ手打ちそば「さぶん」に行きたいと考えていたのだ。
昨晩は新庄市の繁華街に繰り出した。酔って締めに鳥中華を食べた挙句、タクシーが見つからず、傘もないのに雨の中、うろうろと徘徊したためなのだろう。朝からだるい。調子が悪い。これから最上川下りに参加し、ランチはキャンプ場でバーベキューだったのだが、この体調では厳しいので、参加を断念した。
昨日も朝から体調が優れなかった。歳だろうが?加齢だろうか?いずれ病気になって死ぬ身である。
体調を崩したのは新庄
五十歳を過ぎたのが現状
長生きしたいのが人情
絶対に無理をしないのが信条
また、くだらぬラップが浮かんでしまったYO!
いやいや、前向きに考えよう。さぶんで蕎麦を食べるのを諦めていたのに、思いがけない形でチャンス到来ではないか!チェックアウトまでゆっくりと休養してから、食べたい蕎麦を食べて帰ればいいだけなのだ。
11時前にホテルを出て、市街地を走ること10分ほど。街中にその店はあった。駐車場は店の裏にある。開店前なのに車が多数停まっていた。店の前には何人もが並んでいる。
入れるだろうか?
手打ちそば さぶん
ぞろぞろと入店する人の後についていくと、問題なく入ることができた。入口からはいるとすぐに土間になっていた。混んでいるときはここが待合スペースになるのだろう。
店には靴を抜いて上がる。
店内は広いお座敷だ。好きな席に座れというので、窓際のお一人席を陣取る。店の入口が中から眺められる席だ。カウンターには海苔と薬味が置かれている。薬味は七味とゆず七味。海苔だけで五十円追加となる店がほとんどなのに、これは嬉しい心遣いだ。
さて、何を食べようか。メニューを眺める。昨日が鴨セイロだったから、今日は天ぷらといくかな。
季節のメニューを発見。おお!小海老天おろしそば、これだ!
オーダーを済ませ、窓からの景色を眺めながら蕎麦を待つ。気がつけば30分が過ぎていた。左に座る一人客は昼からビールに焼酎蕎麦湯割りと、なかなか贅沢な時を過ごしている。店員は電話で満席で入れないと断りを入れている。11時に来て正解であった。
小海老天おろしそば
小海老がたくさん。ぶっかけ蕎麦。大根おろしの下にはシソが敷いてある。つゆは八割ほどかけるようにと店員からアドバイスを受ける。刻み海苔を加えて、蕎麦をいただく。
伸びもコシもある、喉越しの良い手打ち麺だ。太さは若干不揃いだ。ネジが白ネギではない。東日本では珍しいように感じる。大根おろし、大葉、ノリに天ぷらと一口ごとに異なる組み合わせで食べてみる。これは楽しい。飽きない。夢中に夏まで蕎麦を食べていたら、エビだらけになってしまった。天ぷらは揚げたてで熱々カリカリ。中はプリプリでしっかりとした味がする。
昨日の件があって、大盛りを躊躇したのが失敗だ。蕎麦が少なすぎる。いや、天ぷらが多すぎるのか。
付け合わせのぬか漬けもうまい。我が家の糠床は妻が多忙につき死んでしまった。
手を拭こうと紙ナプキンを探すが見当たらない。ティッシュの箱もない。昨日もそうだった。山形の蕎麦屋には置かないものなのだろうか。こんなときのために、新幹線や飛行機でもらう紙おしぼりを携帯しているのだ。今使わずにして、いつ使うというのだ。
なるほど、食べ終えるとさらにつゆはほとんど残らない。大根おろしが吸い取ってしまうのだ。そばつゆの残る盃に蕎麦湯を注ぎ入れる。蕎麦湯と鰹節の香りが融合しリッチな味わいとなって口の中に広がっていく。やがて喉の奥に流れ込み余韻だけが残る。
トイレは安心の温水洗浄便座であった。
そしてお会計。え?ご自由にお取りくださいって?そこには紙おしぼりが置いてあった。こんな場所じゃ気付かないよ。とほほ…厨房ではお母さんたちが蕎麦を茹で、天ぷらをあげていた。意外だ。いかつい顔の大将の仕切っているものだとばかり思っていた。これが老舗か。
まあ、蕎麦は美味かった。これで心置きなく新庄を後にできるというものだ。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)