生姜焼き

東京都港区 内幸町駅 芝浦本店 生姜焼き定食

朝飯やめました

午前11時半。最近、朝食を食べないようにしている私にとって、最初の食事はブランチである。一日二食の生活を心がけてはや二週間。毎日半日以上も食事をしない生活。なかなか慣れないものだ。

今までは夕食を控えめにしても、炭水化物を摂らずに空腹にさいなまされたとしても、9時間後には食事にありつけた。それが一日二食では14時間以上も食事にありつけないことがザラにある。苦行だ。荒業だ。ひもじいのだ。

血糖値が下がれば機嫌が悪くなる。これ、生命維持の仕組みなり。空腹に耐えること、これ、諸行無常の響きあり。いつまでも続くわけではない。
いずれお腹が満たされるそのときまで、何かして気を紛らわさないとやってられない。かと言って若者のように寝て過ごすなどという贅沢は五十路には無理だ。睡眠時間が短いのだ。朝5時か6時には目覚めて、5時間以上も断食をしなければならないのだ。

俺が一体、なにをした?

認めたくないものだな、五十路ゆえの血圧とは。

そうなのだ。先月の検診で二キロほど太っていたのだ。今月の検診までに、せめて元の体重に戻さなければならない。幼子を抱える身、まだ倒れるわけにはいかぬのだ。その代わり、昼はガッツリ食べる。ご褒美だ。カーボローディングに徹するのである。まさに飴と鞭。こうして今日も朝食レスを乗り切ったのだった。

芝浦本店

さて、ブランチを食べてからの打ち合わせだ。飯を食うのは15時間ぶりであろう。いや、一汁三菜の食事は24時間ぶりだ。昨日は刀削麺であった。一汁一菜だな。ならば、その前に一汁三菜の飯を食ったのはいつだろうか。おそらく三日ほど前だ。そのためだろうか、おかずと野菜とごはんがとても食べたくてたまらない。

ホテルの周辺をうろうろしていると、一軒の店が目に留まった。ランチメニューの案内板である。

豚ロース生姜焼き定食、ごはん、味噌汁付き780円(税込)。ロースとんかつが名物と書かれているが、揚げ物よりも焼き物が食べたい。写真を見るからに、野菜もたっぷりのようだ。こいつは魅力的だ。

朝挽もつ焼き、芝浦本店。もつ焼き屋なのに、ランチは豚肉メインか。よし、ここにしよう、

店内は居酒屋風。客は私のほかに一人だけ。静かな店内に流れるBGMは、さだまさしの悲しくて暗い歌。これから仕事だというのに、HPもやる気も吸い取られそうな雰囲気だ。厨房からはじゅーじゅーと肉を焼く音が聴こえてくる。調理のサウンドが次第に威勢よくなってくる。少し元気が回復してきた。音がやめば、私の前に生姜焼きが現れるはずである。

生姜焼き定食

やや厚めのロース肉が4枚。生姜の効いた、すこし辛口でキレのあるタレがしっかりと絡んだロースを噛み締めれば、肉の旨味と混ざり合う生姜の香りが口の中に広がる。追ってマヨネーズがすこしかかったキャベツを口に放り込む。まろやかな酸味とキャベツの爽やかさが加わり、味がマイルドに変化する、複雑かつリッチな味わいが口の中で広がっていく。ご飯を突っ込めば、すべてを受け止め余韻とともに消滅していく。

ああ、なんてはかない。

東京厨房の生姜焼きとは大違いである。

たっぷりの野菜、ガッツリの肉、しっかりとご飯、わかめだけのシンプルな味噌汁がさりげなくサポート役に徹している。ああ、胃と心が満たされるにつれて幸せな気分になる。BGMは竹内まりや「不思議なピーチパイ」。まるで今の私の気分を表しているかのようだ。忘れもしない中学一年生の遠足、昼食後に公園の舞台の上で公衆の面前で担任に説教され、ビンタされたとき、この曲がスピーカーから流れていたのを覚えている。ものすごく理不尽な理由だった。ああ、闇歴史だ。あれから教師と言う人種が大嫌いになり始めたのだ。

ロース肉は脂もうまい。甘みは脂、旨味はアミノ酸。定食の生姜焼きはこうでなければならないという理想を見事に体現した一品。味もボリュームも満足である。

ふと、隣のテーブルをみて驚いた。ロースカツカレーはキャベツのせ。金沢カレーとは異なる、キャベツスライストッピングである。いや、量的にトッピングの域を超えている。斬新だ。東京には身近で知らない食がまだまだあるのだと思い知らされたのだった。

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