新橋の餃子屋
新橋との会食の後、1人小腹を空かして飲み屋街を歩いていると1つの気になる看板が目に入った。餃子と一緒のようだ。水餃子も種類も豊富だ。
店は2回で終わった。上を見上げる。店の電気がついている。看板が出ていて公電気も付いている。この条件が揃っていれば当然営業中であろう。
店へと続く階段を上る。店のドアの前まで来たときに、内側から扉が開いた。
「もう閉店です。」
容姿の整った女性が、表情のない事務的な口調で私に放った。愛想など微塵もない。これは日本人ではまずありえない。
「すいません、もう閉店なんです。またのご来店お待ちしております。」
こんな声かけもない。まるで役所のような、官僚的な対応に不快感を感じた。
仕方なく階段を降り、駅に向かって歩く。同じ名前の店を再び見つけた。先ほどは本店と書いてあった。こちらは三号店と書いてある。興味が湧いて扉を開けた。
「もうすぐ閉店です。ラストオーダーです。」
こちらも容姿の整った女性が事務的に告げた。中国語で言えば「我告訴你。」である。
かまわん。
餃子をちょっと食べて、なにか軽くつまめれば、それだけで私の食欲は満たされるのだ。塩分の入っていない食事が摂れればいいのだ。
一味玲玲(いちみれいれい)
私は店の一番手前のテーブルに案内された。
さて何を食べようか。メニューを見る。餃子は水餃子、焼き餃子、蒸し餃子のいずれもに対応できるようだ。一品料理も数多くあるが、めんどくさくて写真を撮る気にならなかった。
いろいろ見て、豚肉のパクチー炒めをセレクト。餃子は白菜が基本だ。そしてハイボール。これが私のラストオーダーとなった。
お通し
なかなか美味しい。
干し豆腐が薄味でうまい。高血圧の私に、減塩が必須のわが身にはありがたい。
パクチー豚肉炒め
しょっぱ過ぎて食べられない。二口で断念。見た目はとてもうまそうなのに悔しい。肉だけ食べてみるがやはりしょっぱい。なんでやねん!パクチーの葉も同様に塩っぱい。
結局、硬い茎だけをつまんだ。香りだけでも楽しめれば、まったく箸を付けないよりはマシである。ただ、こいつは1200円もする。千円オーバーで食えたものでないのが悲しい。おそらく、他の炒め物も同様なのだろう。これでは私の体が受け付けぬ。
諦めずにチャレンジしてわかった。パクチーの茎の部分はしょっばくない。それ以外はダメだ。
水餃子
これは水餃子も同じ味付けなのか。不安がたぎる。店の客は若者ばかり。塩分濃い目でもなんの不安もない年齢層だ。うらやましい。
塩っぱいものは年寄りが好む食い物の代名詞だが、それは昭和だ。令和では通じない。人生百年時代に塩分は人類の大敵なのだ。
白菜の水餃子は味付きだ事務的に告げられた。クミンなのかカレーっぽいスパイシーな香り。これが水餃子?見た目はそうだが創作料理なのだろうか。
辛子味噌をつけて食べる。こちらの方が総合的に味がマイルドだ。まあまあうまい。黒酢がないのが寂しい。本場風なのか、日本式なのか、オリジナルなのかが分からない調理である。
店員の仕事は機械的だ。特に女子に顕著だ。中国では普通の素行である。
ごちそうさま
先に会計を済まして欲しいと言うのでクレジットカードを渡すと、5000円以上でなければ使えないと言う。
「すいません」も「お手数ですが」の一言もない。
まったく悪びれない。
ここのルールなのだと言わんばかりである。
仕方なく現金で払う。店の奥に引っ込んだ女性は明らかに着替えていた。そして私にお釣りを渡すと、そのまま店を出て行った。
帰宅したようだ。
客にお釣りを渡したその足で帰宅するなど、日本人には絶対にできない。常連に対してなら分からんでもない。
だが、私は一見の客である。
サービスレベルが中国クオリティー。
味付けが微妙な餃子と塩っぱすぎる料理。
日本人を舐めとんのか?
二度と来るか!!!!(怒)
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)