釜揚げうどんランチ

東京都渋谷区 笹塚 うどん 後楽

起業した学生時代

もう三十年前になるのか、21歳の時に知人とITの会社を興した。オフィスは笹塚のワンルームマンションの一室だった。ビジネス用の机は部屋に入らないので、小さめの家庭用デスクを買ってきて使った。コンピューターのラックの方がはるかに大きかった。

その後、独立して起業したときはオフィスを隣の幡ヶ谷に構えた。そして私は中国人の妻と結婚、南大沢に新居を構えたが、子供が生まれるのを機に、笹塚にマンションを買った。四十歳まで笹塚に住んでいたのだ。徒歩通勤の日々が続いた。子供が生まれ、念願のマイホームでの家族暮らし。それも数年で終わることになった。

時代が21世紀に移ったある日、風呂場から妻の叫び声が聞こえてきた。驚いて妻に駆け寄ると、呆然と立つ妻の足元に、まるでカツラのようにゴッソリと髪の毛が落ちていた。髪を洗っていたら、大量に抜け落ちたのだと言う。

ストレスだった。妻は任された仕事の結果が思うように出ず、気持ちが不安定になっていた。これがキッカケとなって、妻は北京に戻り、子供達と住むことになった。もとより出張の多かった私は、自宅住まいの単身赴任者となった。

別居してから一年後、妻から離婚の申し出があった。

思い出の笹塚

当時、笹塚駅近くには行きつけの店がいくつかあった。一つは洋食ロビン。いつもカツピラフを食べていた。細いキャベツの付け合わせに盛られたピラフ。その上にのせられた熱々のとんかつの上にはドミグラスソース。福神漬けがピラフと合う。最後に食べたのは何年前だろうか。今の妻と食べに行った。

私の本籍地は今でも渋谷なのだが、宅建士の登録には本籍地の役場でとった身分証明書が必要なため、駅から近い笹塚出張所で取ることにした。そのついでに、久しぶりにロビンでカツピラフを食べようと目論んでいたのだ。ネットによれば定休日はないとのこと。

だがしかし、その目論見が叶うことはなかった。今日は水曜日、ロビンの入るビルごと休みだ。そうだった、思い出した。ネットの情報は相変わらずあてにならん。

さあ、どうしよう。

こうなれば、もう一つの店に行くしかない。うどんの後楽だ。ここの釜揚げうどんランチは身体に優しいメニューではない。糖尿病を誘発する魔の食事だ。しかし、その誘惑に勝てるほど私の意思は強くない。性欲は制御できるが、食欲は無理だ。私はスーツケースをゴロゴロと引きずりながら、迷わず後楽に向かった。

うどん後楽

店は十年ほど前に建て替えられていた。京王線のガード下の商店街と駅ビル丸ごと新しくなったのだ。ランチタイムで店は混んでいたが、カウンター席に座ることができた。

メニュー

さて、何を食べようか。

メニューは昔よりもバリエーションが増えているが、基本は変わらない。釜揚げうどんランチ570円、私はこれ一択だ。ところが二十年を経て、ランチメニューも進化していた。なんと、天ぷらがトッピングできるのだ。これこそ革新、まさにイノベーション。

オーダーを済ませ、うどんが来るのを楽しみにしている私の前に座る二人組。彼らに運ばれて来たのは、天丼と釜揚げうどんのセット。そんなランチメニューはあったのか?メニューを見直すが、そんなものは、ない。なぜだ?

私もそっちが食べたい。

メニューの裏面を見るも、冷やしうどんのセットがあるのみだ。おかしい。何か見落としている。店を見回す。あ、お得なセット、こいつか。なんと、うどんは釜揚げもセレクト可能とある。斬新なシステムだ。やられた。

釜揚げうどんランチ

いや、いいのだ。私はここを昔懐かしむためにきたのだ。郷愁でノスタルジックなのだ。思い出の中に天丼など存在せぬ。などと考えていたら、釜揚げうどんランチが運ばれてきた。

細めで縮れ気味のコシが強くない優しい麺。たっぷりつけてもしょっぱくない、出汁のきいた薄口の優しいうどんつゆ。ああ、時代や建物が変わっても、変わらぬものがある。引き継がれる伝統がある。懐かしい味だ。すかさずかやくご飯と漬物を口に放り込む。

美味い!

うどんつゆは二刀流だ。天つゆも兼ねているのだ。一つで麺も天ぷらも相手にできるのは、まさにうどんつゆだからだ。蕎麦つゆではこうはいかぬ。いや、自分は蕎麦つゆでも天ぷら食べてしまうが、それは置いておこう。昔のランチではこんな贅沢ができなかった、マーケティングの成果だろうか。ホクホクのかぼちゃがまた美味い。

変わらない旨さ、懐かしい味、そして新しいメニュー。変化を恐れず伝統を守り抜くこの店の姿勢に脱帽だ。

ちなみにトイレは温水洗浄便座だ。昔は冷たい和式便所だった気がする。

食べ終えてふと隣を見ると、女性が蕎麦を食べていた。そうだ、ここは蕎麦とうどんの店だったのだ。何十回となく食べにきたはずだが、蕎麦を食べた記憶がない。うーん、蕎麦かうどんか悩むのは次回にしよう。

と言いつつ、釜揚げうどんを食べるのだろうな。

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