餃子屋 チハラ
久しぶりに気のおけない仲間たちと焼肉を食い、酒を飲んだ。大人のパラダイス。そんな表現がぴったりの世界が大阪にはあるのだな。だいぶ酔ったし、小腹が空いた。私以外は皆まだ40代である。若い。これ若さか。五十路になってから体力も酒量もかなり減った。肌ツヤとふっくらした手は今でもキープしている。握手をすると、柔らかくて気持ちがいいとおっさんたちに言われることは珍しくない。
若者たちはまだ暴れ足りないらしく、どこかに行くとのことだ。私はお暇しよう。ホテルに戻る帰り道。朦朧と考えた。小腹が空いた。さて、何を食べようか。ラーメンは無い。重いものはいらない。軽くでいいのだ。そんな私の眼前に現れたのは餃子の看板。
ん?
炊き餃子?
店頭には焼き餃子と炊き餃子の文字。スタッフが店先で餃子を包んでいる。中身も店で作っているようだ。奥には「あさり白湯の炊き餃子」とある。
なんだ、それは?
私が知る限り、餃子の調理法はお湯でゆでる水餃子、鍋で焼き上げる焼き餃子、セイロで蒸す蒸し餃子の三種類である。これに日本人がローカライズした揚げ餃子にスープ餃子だ。鍋に入れるのは煮る餃子と言ってもいいだろうが、鍋料理であるから餃子メインでは無い。
餃子を炊いた例は聞いたことがない。ワンタンじゃあるまいし。これは食べなければならぬ。小腹にもちょうど良さそうなのだ。私は店のドアを開けると店内に入った。
メニュー
カウンター席に案内された。まずはドリンク。ハイボールが強炭酸。やっと飲めた。だが濃ゆすぎる。炭酸水を別オーダーして割りながら飲む。
サイドメニューもそこそこある。よし、冷やしトマトとがっつり餃子といこうではないか。昨晩見たテレビ番組で冷やしトマトは二日酔い防止になると医者が話していた。胃にミルクが膜を張るとかは俗説らしい。考えてみれば、胃は消化するだけで吸収は腸だ。
お通しは枝豆。餃子用の大根おろし。焼き餃子の食べ方について説明書きを読まなければならない。
え?
餃子に大根おろしの組み合わせは寡聞にして聞いたことがない。しかし壁には大書されている。
「おろしで食べる焼き餃子」
「あさり白湯の炊き餃子」
なるほど。これだな、この「おろ酢」を大根おろしにかけて、餃子を食べればいいのだな。
テーブルには豊富な調味料。自分の好みの組み合わせを思考錯誤して完成させるまで店に通わせようという魂胆なのだな。完成したらしたで、他人に見せたがる大阪人の自己顕示欲の高さを利用した見事なマーケティング戦略。なるほど。
トマトスライス
ヘタ付き。これまた初めてだ。大阪は無駄なく食べるのか。枝豆は味が濃い。塩だけでない。ニンニクでも味付けされているのか。私にはきつい。食べきれない。その点、トマトスライスは裏切らない。素材本来の甘みは当たり外れがあるにしても、自分で味付けしなければそのままの味を楽しめる、味わえる。
焼き餃子
おろ酢を大根おろしに入れる。餃子につけて食べる。
ナンカチガウ。
酸味が強すぎる。私の求める味ではない。テーブルの上の調味料は醤油、だいだい酢、チハラー油、胡椒に薬味唐辛子。うーん、醤油+だいだい酢もしくは酢醤油か。マニュアルを改めて読む。
酢醤油にチハラー油。これで行ってみよう。餃子につけて食べる。
ビンゴ!
こいつだ。うん、うまい。冷やしトマトとのコンビネーションも素晴らしい。
一口餃子はすぐになくなった。続いてはニンニクなしだ。そもそも中国では餃子にはニンニクを入れない。ニンニクの醤油漬けをかじりながら水餃子を食べ、ゆで汁を飲むのだ。
ニンニクなしは見た目は変わらない。たべる。噛みしめる。ん?なんだ、この発酵臭は。思い出せない。鼻に付く懐かしい匂いが思い出せない。やはりポン酢よりも、辛み酢醤油の方が好みだ。店員に尋ねるとエビ餃子というが、この鼻に付く臭くて芳しい香りは私には馴染みがある。久しぶりに出会った気もする。
炊き餃子
ここで白炊き餃子。ついに炊き餃子なるものと相まみえることになった。
あさりの香りが匂い立つ。餃子アクアパッツァとでも呼ぼうか。マイルドなスープがたまらない。見た目は餃子というよりワンタンだが、口に入れるとまごうことなき餃子である。皮はたっぷりとスープを吸っているが、これはありだ。滑らかな舌触りで、スイスイと胃に収まる、スープ餃子とは異なる、この皮はワンタンだ。美味い。
まさに、クラムチャウダーワンタン。
新たな酒の締めを開拓できた。再び訪れたいものである。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)