久しぶりの中洲
本日の宿は福岡空港から地下鉄で9分、中洲川端駅からほどない場所にあった。地下鉄の改札から階段を登って地上に出ると、私はすでに繁華街にいた。都会だ。まだ昼間なので営業してるのは牛丼チェーン店くらいなのだが、ビルの下にはまだ開いていない飲食店の看板が立ち並ぶ。その中にふと気になる文字を見つけた。
「ラーソーメン」
初めて聞く料理だ。チャンスがあれば食べれるだろう。
夕方から取引先と打合せがあったのでどうやって行こうか考える。地下鉄でも歩いても大して時間は変わらなそうだ。幸い中途半端に時間が空いている。街中をゆっくりと歩いたこともあまりないので、30分ほど歩こうと決めた。帰りは地下鉄にしよう。中洲の川沿いを歩く。人通りも少なく静かな川面の佇まいに癒される。
しばらく歩いて橋を渡ると長浜ラーメンの看板が気になった。近づくとそこは商店街だった。ラーメン屋が三件立ち並ぶ。博多といえばラーメンというイメージが強いが、うどん発祥の地でもある。商店街を歩くといくつもうどん屋があることに気づく。商店街を抜け昭和のような細い路地を進む。ここにもうどん屋がある。
地元に言わせると博多のラーメンは「バリカタ」、うどんは「やわ」なのだとか。大学の後輩が博多駅前に住んでいる。博多駅前と言っても博多駅からは10分ほど歩く。どこが駅前やねん!と後輩にツッコむもこの辺りの地名が博多駅前なのだという。詐欺か?いや、そう言われると行徳にも行徳駅前と言う町名があった。それはいい。その後輩と長浜ラーメンを食べに言ったら「麺やわ」で頼むではないか!
「僕、やわいのが好きなんですよ。」
しかもだ、彼は猫舌だ。冷めたスープに延びてふやけたやわい麺。これはすでにラーメンではないと横目で見ながら食べた記憶がある。
さらに道を博多駅に向かって進むと、ああ、ここはこないだ食べた大地のうどんの近くではないか?ずんずん進む。「博多うまかもん通り」の看板が見える。間違いない!階段から地下二階に抜ける。おお!大地のうどんだ!まだ営業してるし人も並んでいない、ざるうどんを食べるべし!と店に体を半分入れて我に返った。
うどんを食ったら打合せに間に合わない。
そもそもうどんを食べに来たわけではない。
後ろ髪を引かれる思いで大地を後にする。まさにこれだ。
I shall return!
そして夜の中洲
何人かでおでんを食べ終えた我々は次の居酒屋に向かう。なんと一蘭ラーメンの居酒屋があると言うのだ。残念ながら満席。最近はやりの「おれの割烹」に入れた。牛ヒレレアかつを食べる。美味い!酔ってても美味いとわかる。あとは何を食べたか記憶にない。その後、沖縄から来た普天間さんと、今風に言えば「博多における経済問題の調査のために」現地女性に話を聞きに行った。
調査も終わり普天間さんと締めを探して歩く。一蘭はすでに閉店していた。あてもなく歩いていると、昼間見た看板が目に入った。
ラーソーメン。
「これ何?」
普天間さんが聞く。
「分かんない。食べてみよう。」
二人でエレベーターに乗り目的の店に入った。
もうだいぶ飲んだのだが、ラーソーメンが出てくるまでのつなぎにハイボールを注文する。ラーソーメンは二人前だ。ソーメンをつけ麺のつけ汁にでも付けて食べるのだろうか。などと想像していたら私の予想を大きく裏切ったものが運ばれてきた。
極細ストレート麺を氷水で締めているのだ。付けだれは甘めの醤油ベースだ。なんの具もない炭水化物オンリーのだ。見た目は確かにラーソーメンだ。
冷たく締まったラーメンを箸で取り、甘めのつけ汁に浸してからツルッと麺をすする。
美味い!
美味いだけではない、食感もいい!
これは有りだ!
冷たい麺とつけ汁がこんなに合うとは?!考えてみれば冷やし中華だってラーメンを冷たくして甘酸っぱいタレをかけたものだ。極細ストレート麺を冷やして食べるのは理にかなっている。ただ、なかなかこの食べ方は思いつかない。まさにコロンブスの卵だ。もう箸が止まらない。向かいの普天間さんも一心不乱に食べている。うん、これは麺を食べるものだ。ソーメンのようにキュウリだのスイカだのチェリーだの、余計な具はいらない。麺のみ一本勝負。お前の勝ちだ。
二人とも食べ終えると顔に満足感が満ち溢れていた。笑顔だ。もう一時だ、さあ帰ろう。店を出ると私は普天間さんと別れた。やはり人生って分からないものだが、願いは持ち続けていれば必ず叶う。昼間にこの看板を見たときから私はラーソーメンと相見えることを願っていた。諦めることはいつでもできるから、諦めずに生きることが大事なんだと、酔った頭で考えながらホテルの玄関をくぐった。
博多創作居酒屋 ふとっぱら 公式HP
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)