えきめんや 山形牛コンビーフ モルタデッラ風かつ蕎麦

京急沿線 名店対決

東京から沖縄への帰路に着いた土曜の朝、品川駅で乗り換えついでにブランチをしようとしたのはいいが、時間がさほどなかった。10分で食事をするならば、駅そばしか選択肢はない。京急品川駅下りホームの先に立ち食い蕎麦があることは知っていたが、入ったことがなかった。いい機会だ。ここで食べることにしよう。

店頭には「京急沿線 名店対決」を煽るポスターが多数貼り出してあった。マグロ天にコンビーフかつ。いずれもそばに合うとは思えぬ。マグロが天ぷらであるがゆえに、まだしも蕎麦との組み合わせに希望が見出せるというものだが、コンビーフかつと蕎麦の相性の良さなどは、一塵ですら想像することができない。

個人的にはコロッケそばも許容できない私だ。そばつゆとパン粉の組み合わせで世に受け入れられたのは、カツ丼しかない。ご飯ものだ。蕎麦ではない。そう言えば、死んだ親父が生前、話していたことがある。

「ハムカツ丼を作ってみたら、不味かった。」

その上「とんかつ蕎麦」なるメニューが一般的だとは、寡聞にして知らない。

そして選択の時

ハムとコンビーフは同列だ。いずれもシャルキュトリ(食肉加工品)である。ハムカツ丼が不味いのであれば、コンビーフカツ丼も美味くないだろう。どんぶりものでNGなものが、蕎麦に合うとは到底思えぬ。

そう、私は保守的な男だ。小心者にして臆病者だ。無謀な冒険は好まない。安定した何もない日々が続く、退屈を愛する男になりたいのだ。よって、押すべきボタンは「海鮮天玉うどん」なのだ。何も迷うことはない。

券売機にスイカをタッチして、天玉そばのボタンを押そうとした右手人差し指は、私の意志に反して真上にスライドし、まさかのコンビーフかつ蕎麦のボタンを押していた。

オーマイガー!

なぜだ?これは…もしゃ?そう、私の中のシャドウ、心理学的に言うところの「抑圧された欲求」が、潜在意識に潜む私の冒険心を刺激し、無意識に指が動いたのだろうか。心の奥底では、波乱と非日常に飢えている私がいるとでも言うのか。

仕方がない。

人間は現実を直視しなければならない。己の過ちを受け入れなければならない。自由の代償は責任なのだ。 これもまた私自身なのだ。

AIと老人と外国人と

店内に入るとカウンターに食券を出す。蕎麦かうどんか二択を迫られる。山形名物(※勘違い)だ。うどんな訳がない。

「蕎麦で。」

店員は外国人だ。厨房の中には年配の日本人と若い外国人だけだ。いわゆる日本人の生産労働人口から取り残された職場なのだ。これが日本の現状だ。どうやっても立ち食い蕎麦の店員をAIに置き換えることはできない。洗濯物をたたむロボットですら、対象はシャツ等に限定されており、一枚たたむのに15分はかかるようだ。

ロボットを開発したとして、蕎麦を温めて器に入れて出すことはできるが、天ぷらを揚げたり、食材を機械にセットすることは人間でなければできない。食べ終わった食器とゴミを分別することも難しい。もしもこれができるようになれば、間違いなく軍事技術に転用されるはずだ。

人間はもともと身体を使う仕事がメインだった。頭を使うのは僧侶や支配層など少数だった。産業革命により機械化が進み、肉体労働力としての人間の魅力は薄れた。これは家畜も同じだ。ブルーカラーよりもホワイトカラーが主流となった。頭がいい、勉強ができる人間が出世していった。身体を使わずに、頭を使う人間に富が集まるようになったのだ。

それがAIの成熟により、人間よりも速く、正確に、大量の仕事を機械ができる時代が来た。置き換えが効く職業は弁護士、会計士、社労士、税理士、司法書士、一部の医師など、いわゆる高所得の仕事ばかりだ。既に金融分野ではAIが主流で、人間のディーラーはほぼいないと聞く。身体を使わない仕事はどんどんAIに置き換えられるだろう。

残る分野は身体を使うサービスのみだ。頭と口と耳だけを使うコールセンターは、すでにAIに置き換わりつつある。理不尽なクレームをつける、非人間的なストレスから人間が解放されるのは素晴らしいことだ。心を病む人が減る。

だが、AIは蕎麦を茹でることもネギを切ることもできない。人間でいうところの手足がまだまだ開発途上なのだ。言うなれば、これらの仕事が機械に置き換わるには、一世代待たなければならないだろう。私が死んだ後の話だ。

山形牛コンビーフ モルタデッラ風かつ蕎麦

一、二分で私の蕎麦が供された。カウンターまで取りに行く。さあ、味あわせてもらおうか、山形牛なんたらかつ蕎麦とやらを。スーパーカーみたいに長い名称は、五十路の脳には優しくない。どんぶりを満たす琥珀色の液体に浮かんだ、白っぽい蕎麦ときつね色のカツ。モノクロームの世界に色を吹き込むかのような、緑がかったネギと真っ赤な細切り唐辛子。

なんだかシュールな気がしないでもない。

つゆは甘め。蕎麦は立ち食いにしてはいい方だ。今の時代、これくらいのクオリティは必須だろう。細めでなぜか少し縮れている麺は、少しばかりこしがあり、蕎麦の香りもする。許容範囲だ。平成の立ち食い蕎麦だ。

地方に行くと、いまだに昭和の悪しき立ち食い蕎麦を出す店がある。黒くて、ブニュブニュして、コシもなく、まるで蕎麦状の細うどんを食べているかのような錯覚に陥る。あれはダメだ。昭和が終わって三十年。平成すら終わるこの時代に、歴史の遺物は退場しなければならない。

さて、山形牛コンビーフ モルタデッラ風カツ。スーパーカーみたいに長い…以下略。箸でつかむ。思ったよりも重い。なんだ、この重量感は。ものすごく分厚いのだ。予想外だ。

一口かじってみる。柔らかい。味はコンビーフだ。缶詰のものもよりもクセがない。いわゆる、安くて美味い「野崎のコンビーフ」の味とは異なる。それっぽい味もするが、はるかに肉々しい。

味が想像つかなかったので、七味は入れなかった。容器を手に取り、どんぶりの上逆さにして軽く振る。

七味が出ない。

なぜだ?容器の穴を覗き込むと、完全に詰まっている。閉塞している。爪楊枝で刺すという手もあるのだが、ふたを開け、慎重に七味を入れる。油断するとドバッとどんぶりに山ができて悲劇が生じる。無事に七味の投入が終了した。軽く混ぜて食べてみる。うむ、入れた方が美味い。カツは思ったほどパン粉が自己主張していない。天かすとも異なる。それ以上にコンビーフの存在感が圧倒的なのだ。

調べてみると、横浜市金沢区にある、加藤牛肉店が販売しているものであった。

https://katogyu.co.jp/item/1795

当店オリジナルの手ほぐしビーフは、山形牛を塩漬けにし、8時間煮込んだ後、程よい食感を出すために、チョッパーなどは使わず熱い肉をすべて手でほぐしていく作業から入ります。ドイツ直輸入の香辛料を使用。コンビーフの概念を変える逸品です。

加藤牛肉店HPより

モルタデッラとはボロニアソーセージのことである。日本の法律では、直径35ミリ以上のソーセージとなっている。本物は豚肉で作るが、日本では太ければ「ボロニアソーセージ」を名乗れる。それでモルタデッラ風と名付けたわけだ。

つまり、国内では通用しても、世界では通用しないネーミングだ。東京オリンピックで世界中から訪日する欧米人が見たらいい笑い物だ。そもそも本家の店では一言も「モルタデッラ」と名乗っていない。調子に乗りすぎではないのか。日本の法律もおかしい。何十年も前の食糧事情の悪い時に定めた化石のような規定をグローバル化、国際化の時代に使い続けるのは如何なものか。

電車が来るであと7分。とにかくコンビーフがでかい。なかなか食べ終わらない。朝から食べるにはヘビーだ。そもそもこいつは駅そばに入れるべき食材なのだろうか。むしろサンドイッチやご飯の方が合うのではないか。

完食。悪くはない、不味くもない。ただ、もう一度食べようとか、人に勧めようとは思わない。とは言え、国産牛100%のコンビーフと出会えたことは喜ぶべきことだ。通販でも買えるようなので、帰宅したら妻に話してみよう。

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