焼肉 きたじま
台風19号で車両の半分が廃車となった北陸新幹線は臨時ダイヤでの運行だ。金沢に着き、ホテルの近くをネットで検索してみたが、店がほとんど見当たらない。とりあえずふらふらと歩いてみよう、そう思ってホテルを出た。いや、なかなか感じの良い、小さな店がいくつもあるではないか。
最初に気になったのは手打ちそばだ。だが、長野で蕎麦をさんざん食べた。毎朝、ホテルの朝食でも蕎麦を食べた。そばつゆを飲んでいた。味噌汁も飲んでいた。塩分を摂り過ぎた。よって蕎麦を食べる気分にはなれない。続いて金沢料理だ。イカの刺身、のどぐろ塩焼き、金沢おでんに治部煮。うん、だから和食はパスだ。そしてもっとも気になった店は、なんだろうか。なんと焼肉屋だ。胃が疲れているのだ。フルーツを食べようとしてしていたのだ。さすがに焼肉はないだろう。
待て、いや、焼肉もありだ。長野の会議で疲れたのだ。これぐらいの食事も良いだろう。そう思い直して、焼き肉屋の扉を開けた。目の前にはレジである。中に進むとカウンター席があった。さらに奥にはテーブル席が用意されていた。おひとり様なので、もちろんカウンター席を案内される。
メニュー
まずはドリンクだ。いつもなら最初の一杯は「とりあえず生」である。べつに異世界居酒屋で飲んでいるわけではないが、日本人であれば「とりあえず生」は文化的に正しい慣習であろう。だが、この店にはクラフトビールがあるではないか。せっかくなので、グランドキリンIPAなるものをオーダーする。
さて、何を食べようか。まずは肉メニューである。
一人前を取って食べるほどパワーも無ければ若くもない。いや、胃腸の状態が通常であれば、まよわずカルビ特上を頼んだかもしれないが、実は希少部位も好きなのである。盛合せは無いだろうか。
おまかせきたじま盛、一人前からもオーダーできる。これだ、これがいい。これにしよう。サイドメニューはどうだろうか。牛肉以外、本日は不要である。
ビールとサイドメニュー
グランドキリンIPA、IPAとはインディア・ペールエールの略である。 その昔、イギリスからインド領にビールを送るとき、輸送中に傷まないよう、大量のホップを投入したことから名づけられた。苦みと香りの強さが特徴だとか。飲んでみると、きめ細かい炭酸のフルーティーな香りのビールだ、サワーを飲んでいるようだ。これならば何杯か飲めそうな感じがする。
店内にはジャズが流れる。おシャンティな焼肉店だ。これぞ令和の飲食店なのだろう。個人的には清潔感があり、落ち着いたシックな内装なので、じっくりと食事を堪能できそうだ。
チムチは辛いがしょっぱくない。浅く漬けた新感覚の一品。これはいい。高血圧にもいい。
サラダはごま油と塩だけ。薄味で野菜の旨味がダイレクトに伝わる。ああ、野菜ってこんなにも優しい味だったろうか。これほどまでに甘かっただろうか。調味料が脇役に徹するからこそ、味わえると言うものだ。
特選和牛
おまかせ盛り合わせ、正直、大して期待していなかった。どうせ安価な希少部位が出てくるのだろうとたかをくくっていたのだが、なんだこれは?
なぜここにお前がいる、シャトーブリアン?
まだお前の出番では無い。新作ドラマが始まって、たった10分で最終回になったようなものだ。残り10回はどうなるのだ?そんな気分だ。肉は均一に火が通るように、常温に戻るまで待つのだ。
メガネ、モモの股関節周りの部位。切り出した形が眼鏡に似ているためにこの呼び名が付いたらしい。眼鏡と言うよりは水泳用のゴーグルだ。焼いて食べる。山葵は滑らかな舌触り、豊潤な香り、生山葵だろうか。塩と山葵だけで味わうのだ。柔らかい。荒々しい肉の味が楽しめる。赤身の旨味がダイレクトに伝わってくる。やるな。
くら芯ロース、肩ロースのことだ。昔、牛に乗るときに鞍を敷いていた部位の肉なので「鞍下」と呼ぶらしい。しっかり焼いたつもりでもミディアムレア。柔らかい、程よい脂のノリ、しっかりと肉の魅力を味わえる。見た目よりもさっぱりしているのに驚く。もしや、そういう牛なのだろうか?
いちぼ、これは油がのっている。焼ける炎が他の部位と異なる。しっかりと焼き目をつける。金粉が肉にこびりつく。 やわらかい、甘い、噛むごとに肉が口の中で崩壊していく。とろけていく。やばい。ワサビの存在が微塵も感じられない。足らなかった。それだけ脂がのっている、そういうことだ。ワサビの辛味は肉や魚の脂分によってコーティングされてしまうのだ。
そして、まさかのシャトーブリアン。しっかり焼いてもミディアムレアなのである。口の中に入れて噛んだ瞬間にイチボとの違いがわかる。激しく柔らかい。豆腐を噛むが如くである。その瞬間に旨味が弾ける。口の中に急速に充満する。噛み締めればあっという間に溶けてなくなる。やばい。
レモンサワーが美味い。さっぱりして甘くない。変な焼酎くささもない。クリアで透明な酒だ。焼肉にとても合う。
上カルビは炎の中心から少し離し、じっくりと焼く。表面の脂が煮えたぎってきたら裏返す。塩はあらかじめかけておく。
柔らかい、牛脂と山葵が混じり合い、匂い立ち、鼻を抜ける。しっかりとした食感でありながら、口の中で削られるように消滅していく。だが上カルビ、美味いのだが感動がない。シャトーブリアンの後では、何を食べてもダメだ。
ニンニクは熱々のホクホクだ。香りもきつすぎず、物足りないこともなく、ちょうどいい。生で食べるのとは対照的な味わいだ。
初手の盛合せにまさかの究極奥義を持ち出すとは、将棋で言えばまさに藤井システム並みの革新的なメニュー構成だ。自分でも何を言っているのかよく分からないが、そういうことだ。焼肉スタジアムを目指すと言う、この道30年の店主が作り上げた現代的な空間。昭和の真逆を行く、清潔でおしゃれな焼肉店。ああ、ぜひ再び訪れたい。もちろん、そのときは体調万全で肉に挑むのだ。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)