ほんとうに蕎麦ばかり?
出雲市の中部にあるこの店に来るのは二度目だ。出雲そばを代表する店だ。店を抜けると小さな庭園がある。その先に離れがあり大きな個室となっている。私は総勢16名の団体でこちらの店に蕎麦を食べにきたのだ。今日の昼食は弁当だと思い込んでいたのでこれは嬉しい。出雲式に言えば
「喜びます。」
である。
だいぶ前だと思うがケンミンショーでやっていた。
「島根県民は頼みごとをするときに『喜びます』と言う。」
その後、何人かの島根県民と出会ったのだが、確かに彼らは
「そうしていただけると喜びます。」
と話していた。
さらに驚いたことに彼らはこれが標準語だと主張するのだ。確かに「喜びます」と言う言葉自体は標準語だ。しかし用法が異なる。「うちなーやまとぅぐち」と同じだ。沖縄で「ひざまづき」と言えば正座のことだ。
話を戻す。これはチャンスだ。この機会を逃せば私が答えを知る機会は半年後に遠ざかるだろう。そう、昨夜、私が抱いた疑念の正体だ。
釜揚げ蕎麦。
釜揚げといえばうどんと決まっている。蕎麦で釜揚げなど聞いたことがない。手打ちの店で出すくらいだから、こちらではよほどメジャーなのだろう。出雲市民に釜揚げ蕎麦について聞いてみるも、
「釜揚げ蕎麦、ありますねえ。食べますよ。」
くらいしか返ってこない。つまり、こちらでは「ありふれたメニュー」だと言うことだ。名古屋で小倉スパみたいなものなのだろう。
出雲そば 羽根屋
席に着くと、私はおもむろにメニューを取った。そして確かめる。そこにはやはり「釜揚げ蕎麦」の文字があった。
「すいません、私は釜揚げ蕎麦でー!」
だが、私の願いは一言で打ち砕かれた。
「ああ、全員同じメニューで注文済みです。」
確かにこの人数だ。事前に予約しなければ、店はパニックになるだろう。
万策尽きたか。
出雲は蕎麦の食べ方も独特?
10分ほど過ぎたのだろうか。数名の店員が次々と蕎麦を持ってきた。割子(わりご)だ。三色ではない。三枚だ。ん?なんだか少な目に見えるな。豆ご飯まで付いているからだろうか。
店の方が食べ方を説明してくれると言うので少し待つ。なになに?
「つゆは辛いので蕎麦湯で薄めてください。」
ここでも昨晩と同じく、蕎麦湯の入った湯のみが出てきた。なるほど、これで蕎麦つゆの濃さを調整するのか。でも、なんで冷たい蕎麦にワザワザ熱い蕎麦湯を使うのか。これでは蕎麦がぬるくなるが、郷に入れば郷に従えだ。割子に薬味をのせ、つゆをかける。少し濃いかな?蕎麦湯をかけて薄める。蕎麦を口に入れる。
…イマイチ。悪くはないけど。
隣の外川さんも私と同じように食べている。聞き間違っていないよな。ペロッと食べ終えた。
物足りない。あちこちから「追加、追加!」の声が上がる。お!これは!チャンスか?
店員が呼ばれてメモを取り始める。
「蕎麦を三枚追加の方〜」
ほぼ全員の手が上がる。
「その他の方〜!」
「天丼!」
マジか?蕎麦追加の上に天丼も食うか。いや、他人に構ってる場合ではない。私は息を吐くと落ち着いて言った。
「釜揚げ蕎麦!」
「釜揚げ蕎麦おひとつですね〜?」
店員が復唱する。やった。ついにやった。もうダメかと思ったが、チャンスはいつ来るかわからない。だからこそ逃してはダメなのだ。あとは出されたものを食して正体を暴くまでだ。
蕎麦湯の正しい使い方?
追加した蕎麦はすぐにでてきた。外川さんが先ほどと同じように食べ始める。
「うまいよ!さっきのより美味い!やはり最初のは作り置きで時間が経っていたんだよ。冷たくて喉越し良くて、全然うまい!」
その様子を見ていた私の隣、外川さんと反対側にいた出雲市民が冷ややかに言った。
「蕎麦湯は蕎麦にかけませんよ。」
なんだとっ!?
蕎麦にかけないだと?!
外川さんが焦って言い返す。
「え?さっき店の人が蕎麦湯でつゆを薄めろって…」
私も頷く。出雲市民が突き放す。
「蕎麦湯の中につゆを入れて薄めるに決まってるじゃないですか。」
えー?!さらに彼は続けた。
「蕎麦に蕎麦湯をかけるなんて聞いたことがないですよ。」
私もだ。せっかくの蕎麦がぬるくなるじゃないか。
は、謀ったなぁっ!?
外川さんが勧めるので一枚食べてみる。もちろん蕎麦湯はかけない。
うん、美味い。外川さん、あんたいい男だよ。
ここで問題が起きた。ご飯を残したとはいえ、蕎麦4枚は腹にくる。向かいの谷井さんは、糖質制限ダイエット中だと言うのに蕎麦を食べていた。
「蕎麦は糖質じゃないって聞いたから。」
んなわけないだろう。そう言えば、この人には名言があった。
「ダイエットは明日から。」
釜揚げ蕎麦
満を辞して釜揚げ蕎麦が登場した。本当に釜揚げだ。
これに薬味とつゆを入れて食べるのだと言う。出雲では蕎麦猪口を意地でも使わないのだな。
口に入れる。蕎麦は腰があるものの、ぬめりが激しい。美味い蕎麦ほど蕎麦湯が濃いと言う。つゆを飲んでもそれはわかる。蕎麦にぬめりがまとわりついて、その上につゆが絡むような。しかも熱い。
食べても食べても減らない。これは蕎麦なのか?こんなのありか?半分ほど食べたところでギブアップした。無理だ。腹もいっぱいだが、これは無理だ。慣れたら美味しいのだろうが、私はダメだ。
そして天丼が来た
「あと五分でタクシーが来るので出てください。」
案内係が終わりを告げるが、待て。天丼まだだよな。
「お待たせしましたー」
天丼が運ばれてきた。若い衆が一気に食べようとするのを制止して、写真だけ撮らせてもらう。彼らを残して部屋を出ようとした時に、足元でもう一人が天丼をかっこんでいた。鈴木だ。昨晩はあのあと2時半まで飲んで今朝起きられず、吉良が早く来いと会議場から電話していた。アタマが痛い気持ち悪いと、30分前まで不調を訴えていたのに、この食欲。
これが若さか。
外はいい天気だ。会議場まで出雲市内をゆっくりと歩き、午後からの日程に備えた。
しかし、夜が憂鬱だ。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)