小籠包ならここで決まり
鼎泰豐。最初にこの名を知ったのはもう二十年以上も前のことだ。当時、仕事で台北を訪れることが多かった。現地に住む知人が「小籠包のうまい有名な店がある。」と連れて行ってくれた。
店の前には大勢の人がたむろしている。一階は厨房で小籠包を作っているところが見える。店員に声をかけると番号札と注文表を渡される。知人が慣れた手つきでオーダーを書き込むと店員に渡した。しばらくして我々の番号が呼ばれる。二階に上がりテーブル席に案内された。店員が置いたセイロを開けると、知人は小籠包を箸つまむと黒酢に軽くつけレンゲにのせた。生姜の千切りを小籠包に添えると、おもむろに小籠包の皮に穴を開けた。
「こうするとスープがこぼれないし、火傷もしないんですよ。」
そう言ってレンゲを口の中に入れた。自分も勧められるがまま同じようにして食べた小籠包はビックリするほど美味しかった。
「ここはアメリカの新聞に世界10大レストランとして選ばれたんですよ。」
うまいものを食うとどうして人は笑顔になるのだろう。笑いながら知人が言った。付け合わせの冬瓜(トウガン)のスープもあっさりしていて、どのメニューにも合っていた。
小籠包だけではない
「実はここの店は肉まんもうまいんですよ。」
知人が言った。冷凍で売られてるので土産に持って帰ってすぐに食べれば大丈夫と言う。確かにその通りだった。美味かったし、家に着く頃にはちょうど解凍できてるので冷蔵庫に入れて、あとは2〜3日中に電子レンジで温めて食べていた。残念ながら今は口蹄疫のために台湾から土産に持って帰ることができない。
今の社長は二代目で先代の時はパーコーメン(排骨麺)が売りだったのですよと知人が説明してくれた。麺は一つずつ作らないといけないけど、大量に作って一度に調理できる小籠包に目をつけた二代目が今のような店にした。それからものすごく流行っているとのことだった。試しにパーコーメンを頼んでみるとやはり美味かった。
世界各地で食べ比べ
数年後、新宿高島屋がオープンすることになり鼎泰豐が国外初出店と触れこんでいた。その様子はテレビのドキュメンタリー番組でも特集されていた。開店して2〜3週間後に食べに行ってみた。生姜が少ない。味も食感イマイチ。まだまだだと感じた。あれから二十年。昨年、名古屋の高島屋で食べた小籠包は本店に引けを取らないんじゃないかと思う。
北京にも十年ほど前にオープンした。日本と違い中華の本場の海外支店だから間違いなくうまいだろうと期待して行ったのだが、それは間違いではなかった。店構えが本店よりも高級感がある。店の前には多くの外車が停まっている。他国の店舗に比べて富裕層が食べにきてるようだ。大衆店と言う感じはない。メニューも高級感があり本店より充実している。特に酸辣湯が美味い。名古屋店のも美味かった。なんと言っても北京店は麺が美味いのだ。あっさりとして出汁の効いた酸菜三丝面が最高だ。
そして香港。台北の本店に雰囲気が近い。客待ちのシステムも同じだ。地元の香港人だけでなく日本人、中東系、アフリカ系、白人などなど、客層が非常に国際的なのが土地柄を表している。自分たちの番号が呼ばれテーブル席に通される。高級店というより大衆店に近いだろうか。北京の店舗とは大違いだ。定番の小籠包、蒸し餃子、パーコー炒飯、そして原盅鶏湯麺などがどんどん運ばれてくる。どれもうまい。今さらだがあの小さな壺のような食器のことを「盅」というのだと知った。
世界中で安定した味を供給できるなんて、20年前の海外1号店を思い出せばものすごい企業努力だと思う。アメリカにも支店があるがなかなかいく機会はないだろう。それよりも久しぶりに台北の本店に行きたくなってきた。台湾の仕事はないだろうか。中国圏との仕事はもうないだろうと思っていた矢先に香港でのビジネスが担当になったのだから、台北担当も十分にあり得るんじゃないかと、都合のいいことを考えながら、久しぶりに食べた海外支店の鼎泰豐に満足したのだった。
数年前に五十路となったバツイチ男性。昨日は沖縄、今日は北海道、明日は四国…出張三昧の日々、三年間で制覇した店は千店舗を超えた。日本全国及び海外での食事を記録したブログである。五十路とは本来「五十歳」を意味するが、現代社会では「50代」と誤った認識が定着している。それにあやかりブログのタイトルを名付けた。(詳しく読む…)